まあ、別にいいけど。

出勤しながら悶々と考えている、くだらない話。

チャーハンについてくる取り皿について

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私は昔からチャーハンが好き。


ラーメンよりもチャーハンが好き。

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おいしいラーメン屋さんに誘われて行っても、ラーメンを食べずにチャーハンを食べる。

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ラーメンは相手の残したスープだけ最後まで飲み干して食べた気になる。

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中華料理屋さんに行くと必ずと言っていいほどチャーハンを頼む。
居酒屋さんでだし巻を頼むのと同じぐらいの確率でチャーハンを頼む。

そのくらいチャーハンが好き。
だからこないだおいしい坦々麺で有名な中華屋さんに誘われた時も、当然のごとくチャーハンを頼んだ。

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私の頼んだチャーハンと、相手の頼んだ坦々麺がテーブルに運ばれてくる。
その時私はある違和感を感じた。

チャーハンが運ばれてきた時、お店のおばちゃんはチャーハンのお皿とは別に取り皿2枚とレンゲ2本をテーブルに置いた。

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チャーハンのお皿に添えられているのは、明らかに大きなスプーン。

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これはつまり、この大きなスプーンで取り分けて2人で食べることを示唆している。

しかしそのあとすぐ運ばれてきた坦々麺はと言うと、あくまで坦々麺そのものの器とレンゲ一本が添えられているのみ。

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取り皿は1枚もついてこなかった…

 

 

 

 

 

 

 

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私たちはそれぞれ一食分として料理を一人前頼んでいるのに、どうして私の頼んだチャーハンだけ2人で取り分けて食べる前提で出てくるのか?

なぜ坦々麺は一人でまるまる一皿占有することが許されるのに、チャーハンはそれが許されないのか?

この出され方をすると、取り皿を使わずにチャーハンを食べることは不可能になる。
なぜなら取り分けずに食べてしまった場合、

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2人でシェアするはずのチャーハンに一人で食らいつくなんとも食い意地の張った女の図になってしまうからである…


お互いに食べたいものを選んでそれを食べようとしている。
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坦々麺を選んだ人は一人で100%食べられる。

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一方チャーハンを選んだ人は控えめに取り分けたとしても70%程しか食べられない。

なんか、ずるくない?

 

 



ふつふつと浮かんだ疑問と戦っていると、今度はスープが運ばれて来た。

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思わず店員さんに確認したところ、思ったとおりチャーハンについてくるオプションのスープらしい。
確かに中華屋さんでチャーハンを頼んだ場合、高確率でスープが一緒に出てくることが多い。
そこで思った。

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もしかして、取り分けることによって減ってしまった自身のチャーハン取り分30%を穴埋めする為にこのスープはついてくるのか?

いや待ってくれ、私はあくまで大好きなチャーハンだけで100%腹を満たしたいんだ。
空いてしまった30%の穴埋めはスープ、お前じゃだめなんだ!
そもそもチャーハンが2人でシェアするものだとしたら、スープは一人分しか運ばれてこないのは不公平ではないか?

そう、不公平

私はこの件でなにも取り皿の存在を否定するわけではない。
中華料理とは、元を辿れば円卓のテーブルを大勢で囲い、多彩な料理をみんなで分け合って食べる大衆料理というイメージがある。

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親戚の集まりや、親しい仲間と和気あいあいしながらみんなで楽しむ、そんな文化のある料理ではないかと思うのである。
となると、取り皿が用意されるのはむしろ当たり前のように感じるのだが、坦々麺にはその取り皿が用意されてこなかった。
不公平ではないだろうか?
チャーハンだけ取り皿があり、坦々麺には取り皿がないだなんて!


と ここまで考えてまたある疑問が浮かんでくる。
不公平だと言いつつ、そもそも食事の場における公平さとはなんなのか、と。
昨今の多様化する食文化や生活リズムにおいて、必ずしも決まった食事のシチュエーションが存在するとは言い切れない。
いつ誰とテーブルを囲うのか、その場その場において食事の仕方は変わってくる。

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大きく分けて、何種類かの料理を頼んでみんなで取り分けて食べる居酒屋スタイルと、個々に食べたい料理を選んでそれぞれ一人前食べる定食屋スタイルが存在する。
同じジャンル、同じ店であっても、どのスタイルで食事するかは利用する客によって違うのである。

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今回のケースで言うと、チャーハンは居酒屋スタイルがとられ、坦々麺は定食屋スタイルがとられていた。
この統一性の無さに、私の心はひどく動揺してしまったのだ。

ではこの場合の一番の解決策はなんだろう。

思い出して欲しい、京都人に限らず日本国民の多くにとって馴染み深い庶民的な中華料理屋さん、

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の、テーブルを。

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王将の個々のテーブルには、割り箸・しょうゆ・酢とともに山積みになった小さい取皿が用意されている。
おまけに一番上にプラスチックケースで蓋をすることで、衛生面での配慮までなされている。
この取皿はテーブル席だけでなくカウンター席にも配置され、どの客でも自由に使用することができる。
つまり、取皿を使用する居酒屋スタイルの客が席についた場合でも対応することができ、逆に定食屋スタイルで利用する客が席に着いた場合でも、あくまで最初から備え付けの備品として存在する取皿を一切使用せずに食事を済ませることが可能なのである。
王将において、取皿を使用するかどうかは店を利用する客の自由なのである。

そうつまり、このシステムが採用されているお店では、チャーハンを我が物顔で一人一皿まるまる食べることができるのである。

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もしメインにエビチリやニラレバなどの肉料理を頼み、サブでチャーハンを頼みたいが二人とも半チャーで十分の腹具合だし一人前頼んでセルフ半チャーにしちゃおう、といったシチュエーションにも順応に対応してくれるのである。

なんという画期的かつ素晴らしい店内配備。
その事実に気づいてから、尚更なぜ王将が多くの国民に愛される中華料理屋さんなのかがよくわかった。
おいしくて安くてスピーディーなサーブだけが王将の魅力じゃなかった!
ありがとう王将
これからもついて行きます。
今年はもう間に合わないから来年度のぎょうざ倶楽部会員目指します。
もう半年以上行ってないけど年内にまた行きます。
チャーハン食べに行きます。
あっ 王将はチャーハンじゃなくて焼飯だった。
どっちでもいいからまた食べに行きます!!!

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おわり

 

 

 

 

※この記事はあくまで著者の食い意地の暴走により執筆されているだけですので、決してお店の対応を批判しているわけではございません。

結局この日はチャーハンおいしすぎて別のチャーハンをおかわりしました。

そして厚切りジェイソンさんもご協力ありがとうございました!(無許可ノーギャラ)