豆腐の水切りの失敗から学んだこと
お久しぶりです。
豆腐は絹ごし豆腐派の深谷です。
先日家で豆腐ステーキを食べた時のこと。
豆腐ステーキは我が家の定番メニューなのに、この日はやけにおいしい。
味付けはいつもと同じなのに、よく味が絡んでいるというか、何より食感が違う。
いつもほど水気がなく、ほろっとした口当たり。
例えるならいつもの豆腐はフルーツゼリー、その日の豆腐はチョコレートムース。
こんなにおいしい豆腐ステーキは生まれて始めてだ。感激した。
きっといつもより高い豆腐を使ったに違いない。
そう思って母に聞いてみたが、予想外の返事が返ってきた。
「いや、今日の豆腐は特売の豆腐やで」
なんと。その日は安価な豆腐だった。
ただ、その後に一言
「いつもより、よく水が切れた気がする」
と思い出すように言った。
そのとき思った。
豆腐は値段じゃない。
あのおいしさ、食感を引き出すために必要なのは水気を抜くこと。
水気が抜けた豆腐こそおいしいのだ。
そこで初めて気づいた。
ならしっかりと水切りさえすればおいしい豆腐料理を食べることができるのではないだろうか。
しかしそれには時間がかかる。
一般的に豆腐の水切りはキッチンペーパーで包んで重石を置いて、30分以上放置しておかなくてはならない。
もちろん母親も普段からそのやり方をしている。
そのやり方をする場合、帰宅後すぐに豆腐料理を作りたい場合、少なくとも30分以上経ってからじゃないと調理に取りかかれない。
食べたい時にパッと豆腐を食べることができないのだ。
それは不便だ。
時は金なり。
もっと短時間で、パパッと豆腐の水切りをすることはできないだろうか?
そう思いネットで調べてみた。
すると興味深い方法を見つけた。
鍋で茹でる方法だ。
そのやり方は、切った豆腐を沸騰した鍋で5分間茹で、ザルに上げ、あとはキッチンペーパーを敷いたタッパーに入れて保存する。
このやり方で注目すべき点は、湯で5分茹でるだけと言う短時間でできることと、何よりタッパーに移してから冷蔵庫で3日間保存できるということ。
つまり時間のある日曜日に茹でて置けば、水曜日まで豆腐の命は繋げるということ!
水曜日までは、家に帰ってから「あっ、豆腐料理つくろ♪」と思い立ったらすぐ豆腐料理が作れてしまうということである!!
これはなんて画期的な水切り法だろう!
このやり方を使えば、料理の可能性が大幅に広がる!!
私は歓喜した。
世界が一気に開けた。
時間と手間のかかる下ごしらえという難関を突破し、簡単でおいしい料理の世界に羽ばたいていけるような気がした。
それからと言うもの、私の頭の中は豆腐の水切りのことでいっぱいだった。
仕事をしている時も、家に帰ってからも頭の中は豆腐を鍋で茹でてばかり。
茹でて保存して、その豆腐で豆腐ステーキや肉豆腐を作る自分がいる。
まだ試してもいないのに、イメトレだけは数え切れないほどした。
このやり方さえあれば、私は豆腐料理において無敵。
他の追随を許さない、完璧な水切りをした豆腐でパパッと豆腐料理を作ることができる。
いつしか私は謎の自信に満ち溢れるようになっていた。
まだ試してもいないのに…
いつか時が来たらその方法を試そう。
そう悠長に構えていたら、ある日突然その時が訪れた。
休日、急に予定が空いてしまった。
特にやることがないので、そうだ、今日は例の茹でる豆腐の水切りを試してみよう。
そう思い早速お湯を沸かして作業に取り掛かった。
その日の晩は豆腐ステーキ。なのであらかじめ一丁を六当分に切り分けて、それを二丁分鍋に加えることにした。
しかしこれが結構難しい。
切り分けた豆腐を一切れずつ摘んで鍋に入れる、この時点ですでにヤワな絹豆腐は崩れ始め、ほとんど投げ入れるような形でなんとか12切すべて入れ終えた。
問題は取り出す時だった。
鍋いっぱいに豆腐を入れたせいで、穴あきおたまを挿し入れようにも、豆腐の断面にぶつかってしまうので豆腐を傷つけてしまいかねない。
なんとかして豆腐を崩さずに鍋から救い出せないだろうか?
とりあえず鍋の湯を捨ててみた。
しかし逆効果だった。
ザルの上に出そうとしたが、ザルに移す作業だけで豆腐を崩してしまいそうだった。
おたまで一つずつすくう事もできず、ザルに一気に上げることもできない。
完全に手詰まりだった。
悩んだ挙句、鍋に皿をかぶせ、思い切ってひっくり返してみた。
結果、思った通り豆腐は約半分がボロボロに崩れてしまい、残り半分だけが辛うじて四角い形を保っていた。
失意のままに私は四角い豆腐をその日の豆腐ステーキ用にタッパーへ、崩れた豆腐は後日豆腐ハンバーグに使う用にとりあえずラップをして冷凍庫へ入れた。
一連の作業により一部飛び散ってしまった豆腐の破片を掃除しながら思った。
こんなん、おもてたんとちゃう…
あんなに夢見ていた、興奮で胸を高鳴らせた豆腐の水切りが、まさかこんな形で終わるなんて。
頭の中で思い描いていた工程と、実際にやってみた結果の違い…
それを目の当たりにした私のショックは計り知れないものだった。
晩に豆腐ステーキを作って食べた。
あの感動はなかった。
フルーツゼリーのような豆腐だった。
でも、時間が経つごとに心が落ち着いて来た。
そしてこう思うようになった。
早いこと知れてよかった。
このやり方じゃうまくいかない。
このやり方は不器用なあなたにとって最適な方法ではなかった。
あなたが頭の中で夢見ているような、魔法の水切り方法なんて実在しなかった。
この豆腐の水切りではあなたは無敵にはなれない。
そのことに、今、このタイミングで知れてよかった。
もしこの事を知るのが一ヶ月後だったら?半年後だったら?一年後だったら?
私は絵空事のような豆腐の水切りへの理想を、まるで最後の切り札のように持ち続けたまま歳をとることになっただろう。
もしこれが、将来家庭を築き、旦那様に肉豆腐をリクエストされた時だったら、
意気揚々豆腐を茹でて水切りを試みたことだろう。
そして今回のような大惨事になり、失意に打ちひしがれることになるのが容易に想像できる。
絶対に失敗したくない、一世一代の機会に私は理想と現実の違いに直面することになったのだ。
それを思うと、今でよかった。
本当に、今この瞬間に知っておくことができてよかった。
今回の計画→実行→失敗の経験により、私は茹でる水切り法は自分とって不向きであり、他の水切り法に考えをシフトすることができた。
トライ&エラーである。
このやり方はどうだろう?
↓
やってみよう
↓
なんか違った!
↓
何がダメだったんだろう?
他に良いやり方はないかな?
結果が失敗であれば二度とそのやり方を試そうとは思わないし、試すとしても他に改善案がないか模索することができる。結果最初の計画段階よりは物事が良い方向に進んでいくことだろう。
もちろんやってみてうまく行ったら、大安泰である。
試してみて、よっしゃ思った通りじゃ!
と思ったならそれから何度も続けていけば、人生がより快適になるだろう。
もしくは良いと思ったものに磨きがかかり、さらに別の良いものにたどり着けるだろう。
結局、やらないよりやった方が絶対良いのである。
まずは実行して、話はそれからだ。
やってみて失敗でも良い。
大事なのはまずは結果を出すことで、その結果を見てその後の身の振り方を考えたらいい。
計画段階で止まってしまっては、それが果たして成功するのか失敗するのかさえわからないままだ。
人生もそうだ。
思い立ったら、
すぐバッターボックスに立ち、
そして、打つ!
やってみないとわからんのだから、
ベンチ温めながら夢見て暮らすより思い切って打って走ればいい。
なんか違うなって思ったら、
そこから別の道が見えてくる。
人生は限りがあるのだから、
うかうかしてたら歳ばっかり取っちゃう。
豆腐は私にそのことを教えてくれた。
私はこれからは君を茹でない。
レンジでチンするかも知れない。
ザル付きのタッパーに入れるかも知れない。
可能性はいくらでもある。
茹でる失敗から、私は他の可能性を見出すことができた。
ありがとう豆腐。
ありがとう。
このくだらない文章をなんとなく読んでくれているあなたも
ぜひ思い立ったらバッターボックスに立って欲しい。
人生は有限だから。
おわり